上も下もない。ただ違いがあるだけ。

 

ぼくは今メーカーのエンジニアとして働き初めて3年目に入りました。

ありがたいことに周りの人にも恵まれ、問題なく働かせてもらっています。

 

会社に20歳の男の子の後輩がいるんですが、最近一緒に飲む機会がありました。

部署が違うのであまり会う機会がないのですが、社内ですれ違ったりするとちょっかいかけてくるかわいい後輩って感じです。

 

若いって、こんなに極端だったっけ?ww

 

その後輩は金曜日の仕事終わりにもかかわらず、がっつりフル装備で登場しました。

 

髪はジェルでばっちり七三分け。

香水プンプン。

全身にブランド物を身につけまくっていました。

 

一回家に帰ってからシャワーを浴びて準備してきたんだな〜と思います。

 

「このシャツ6万なんですよ~!

他にも靴とかバックとか合わせると・・・・

 

 

合計22万です~~~!!」

 

って言ってました。笑

 

一緒に飲んでたメンバーみんな

「えええ~~~!!たっか!!!」

って言ってました。

 

その飲み会はぼくの同期5人と20歳の後輩の6人で飲んでいたのですが、

後輩一人で5人の身につけてるものの金額越えていたと思います。笑

 

 

 

「・・・でも他には服ないんで、普段はジャージっすけどね!!!」

 

 

えええ~~~~~極端やな~~~~~~!!!って、みんなでツッコミました笑

 

ってな感じで飲み会がは始まりました。笑

 

 

すいません、今日書きたい本題に入ります。笑

 

それからご飯食べながらお酒飲みながらなんやかんやでいろんな話をしました。

 

後輩の成人式(成人式とか懐かしすぎる・・・)の動画を見せてもらって、おふざけ担当らしくアヒルの恰好をしてふざけてる動画見せてもらったりとか

友達と朝までよく遊ぶのが当たり前っすだとか

若いな〜昔も自分は朝までダンスで踊り狂ってたな〜とか思い出してました。←

 

 

 

そして途中、その後輩が社内の人について話し始めました。

 

「○○ってやつが自分と同じ高校で同期として会社入ったんですけど、高校までずっと陰キャラだったのに最近なんか気合い入れ始めたんですよねー」

「あの人は関わらないタイプですねー」

「あいつ絶対陰キャラですよ」

 

おぉー、これはスクールカーストだ。

 

スクールカースト。

 

30~40人くらいの学校のクラスで自然とグループができていって

・スポーツが出来る人

・声がでかい人

・面白い人

・イケメン、美人

この人たちは、だいたい一番上のグループ。

 

それ以外の

・物静か

・かっこよくない、かわいくない

・会話が苦手

この人たちは、だいたい下のグループ。

 

中間層もちょいちょいあったり。

 

で、カーストのリーダー同士でなんやかんやとか、

カーストの上の人たちが下の人たちをいじめるとか、

グループ入れてあげないだとか、

グループ降格だとか、

 

残酷なものだなと、ぼくは思っています。

 

世の中の常識

 

当たり前ですがこの世の中の常識として存在しているのが

「イケメンや美人、スポーツマン、おしゃれな人は憧れる対象である」

「仕事ができる人は価値がある」

 

 

 

 

 

じゃあ、、、そうじゃない人たちは・・・?

全く価値がないのか??

 

 

福沢諭吉の著書”学問のすすめ”の冒頭では、

「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」と書かれています。

 

生まれたときの赤ちゃんはみんな赤ちゃんで、同じ価値を持っています。

どんな赤ちゃんにも差はなく

その後大人に成長していき、それぞれ社会生活を送ります。

 

学校や会社という組織で育っていく中で、「この世の中にはカーストが存在するのだ」ということを肌で感じるわけです。

そして自分がどの位置にいるのかを知る。

赤ちゃんの時は差がなかったのに、いつの間にか差があることが当たり前になってしまう。

 

自然と「社会的な評価」というものさしで自分を測ってしまう。

 

 

社会的に成功していないと価値がない?

 

社会的に成功していないと、価値がないのか?

イケメン・美女に生まれなかった自分は価値がない?

仕事ができない自分は価値がない?

運動できない・勉強できない自分には価値がない?

 

 

決してそんなことはない。

 

と、ぼくは思いたいです。

 

人の価値が社会的評価だけで決まってしまうのならば、

逆にその土俵に立てない人は辛い。

 

自分に価値を感じることができないから

「なんで生きているんだろう」って思ってしまうと思います。

 

 

ぼく自身は過去を振り返るとリーダーをやるタイプというよりも、どちらかというといじられキャラなときが多かったです。

いじられキャラって、立場ないんですよね。

コントロールされるがままだから。

自分という感覚があまりないというか。

意見を言っても通ることはないし。

 

 

嫌なこともたくさんありましたね〜。

ドラゴンボール好きなんですけどひたすらバカにされたりとか、

あと花火かけられて服に穴開いたりとかね笑

 

まぁそんなに大きな出来事ではないんですけど、

自分という感覚はあまりなく、演じている感覚が強かったかなと思います。

 

必ずしも社会的な評価だけで自分を評価してしまう必要はないと思います。

社会的な評価だけで生きていたら、振り回されてしまうことが多いと思います。

 

もし「お金持ちは価値がある」のであれば、

マザー・テレサは価値がないのか?

新興国の人たちは価値がないのか?

 

評価は常に相対的で、何のものさしで測るかによって変わる。

同じ人間。50歩100歩。

 

 

組織というものは残酷だと思う。

 

みんなで笑い者にする

みんなでからかう

みんなでいじめる

 

個人ではいい人に見えても、集団になったとたん残酷な人になってしまうことがある。

 

ぼくも小学校の時、集団で少しからかってしまったことがありました。

泣いていました。

今でも覚えています。

申し訳なかったです。

 

その人には家族がいるのかもしれないし

大事なペットがいるのかもしれないし

好きな趣味があるのかもしれない

 

人は一人で生まれてくるわけではないから

必ず大切に思われている人はいるはず。

 

その背景まで想えていたら、違った行動が取れたはずだと思います。

 

しかもほとんどの場合、

いじめられたりされる側の人って何もいじめる側のひとに迷惑をかけていないことが多いと思います。

 

標的になったら、一方的にやられてしまう。

辛いよなって思います。

 

誰でも被害者にも加害者にもなりうることがある。

自分自身にもあることだから、気をつけないといけない。

 

 

自分は自分。他人も自分。

 

よく同棲しているカップルや夫婦になってよくある会話は、

「なんで◯◯やってくれないの!?」

「なんで気づかないの?気が利かないなー・・」

「なんでわかってくれないの??」

みたいな会話ですよね。笑

「なんで・・・なの!?」っていう。。。

 

 

一緒にいる時間が長く深い関係の相手であればあるほど

期待してしまうというのは当たり前のことかもしれません。

 

 

でも、、、違う人間なんですよね。

 

育ってきた環境も

性別も

経験も

何もかもが違う。

 

だから違うのは当たり前。

「なんで・・・なの!?」

それは、違いがあるからしょうがない。

相手を変えようとしても難しいことが多い。

人それぞれ特徴があるだけ。

 

真面目とか

頭がいいとか

話すのが好きとか

静かな場所が好きとか

短気とか

頑固とか

だらしないとか

 

これには良い悪いは本質的にはないはずです。

周りの人がどう評価するかによるだけ。

 

だから、「自分は自分。他人も自分。」というスタンスで生きるのではなく、

「自分は自分。他人も自分。互いに違いがある。それに対して自分がどう向き合うかだ。」

ということ意識して周りの人、特に深く関わる人とは関わっていくことが大切だと思います。

 

コントロールできることとできないことの切り分けは必要ですね。

 

 

上も下もない。ただ違いがあるだけ。

 

話が飛び飛びで申し訳ないのですが、(笑)

言いたいことは、

 

・組織は時に残酷。その人の背景まで考えたいよね。

・人の価値は社会的な評価だけでは決まるものじゃないよ。きっと。

・自分は自分。他人は他人。ただ違いがあるだけ。

 

 

無理に自分に社会的なものさしを当てる必要はない。

あなたはこの世に唯一の存在。

それだけで価値がある。

特徴があるけど良い悪いはなく、それがあなた。

 

という、最近思ったことでした。

 

おわり

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トシヤ

メーカーにて電子部品の開発・設計エンジニアとして働いている27歳サラリーマン。 埼玉大学大学院理工学研究科卒。 エンジニアをやっているかたわら、考えごと・興味を持ったことにトライすることが好き。 趣味はストリートダンス・FX・英語・茶道。